
こんばんは、やすかわばいべいです。
すごい久しぶりの投稿。
いかんせん、去年から今年にかけていろいろいろいろいろいろいろいろおろおろおろおろおろおろろ……まあ、あったんですよ。というと、何だか含みがあって、人の想像を掻き立ててしまう様ですが、大した事はない。
私の悪い癖で上段に構えすぎて、モチベがロストするという事態が発生していただけなのです。いやあ、よくないっすわよ。なんでもすぐチャレンジするくらいじゃないとね。必要なのは瞬発力よ!……と思いながらも、細部が気になる悪い癖…。まあ、歴史はそれくらいでちょうどいいとも思うのだが。
そんな私が逃げられないイベントが今日から始まりました。
pixivで公開しましたが、これであります。

私の家は明治からずっと千代田区の麹町番町地区に住んでおりまして、いつか絶対やりたいと思っていた企画だったのですね。が、なかなか私のスイッチ入らず、「いい加減やれざます(# ゚Д゚)」とお声を頂き、かなりベーシックな内容ですが(そして、まだまだ開発の余地がある(ポジティブ))、展示を作らせていただきました。
しかも贅沢に二つの会場をお借りできましたので、片方を番町に特化して、もう片方を麹町に特化したものにしました。「特化」とかいうとなんだかすごいですが、内容を「その土地のものにした」というのが注目すべきところです。
ここからちょっと真面目な話をしていきます。
私の住まう「千代田区」は東京の中心地に位置する国政や経済の中心地です。区民は現在7万人。しかし、今から31年前には3万4000人しか人口がいませんでした。つまり、新しく区民になった方で約2倍に増えたのです。そして、特筆すべきことですが、増えた人口の殆どは子育て世代の方々。
日本は現在少子高齢化が問題になって久しいですが、千代田区に限ってはそれは適応されないという事態になってるんですね。
しかし、恐らくこの方々は千代田区に根付く人口にはならないと私は考えています。ライフステージに合わせて土地、土地を渡り歩く『渡り鳥』のような人生のだろうと。
それもいいが、それでいいのかと私は思います。
それは、特に『災害の歴史』に対して思うだと、今回の展示を作っていて気づきました。
災害とは自然災害、戦争などの人災、両方を指します。
千代田区だけじゃない、東京自体がとても出入りの激しい街です。
そして、入ったが最後、そこでひとり消える命が度々センシティブな話題になる街です。
消えた命の名前が、残らない街。なぜなら、紡ぐ人が残らないからです。特に血縁を持った紡ぐ人が残らない。
去年、機会があって「東京大空襲戦争資料センター」に行った時、企画展と銘打って亡くなられた方々の名前が掛け軸のように延々と廊下につるされていました。職員の方の話を聞くと、死亡者の氏名は名簿として両国の慰霊堂に安置してあるが、「平和の礎」のような慰霊碑はないということ。
自分の不勉強を(そんなんばっかですが)恥じましたが、これは驚きました。
その予算を東京都は割かないのかよ!と思ったりしました。と、同時にそうならない(優先されない)理由も何だか知れる気がしたのです。
「想い」が足りない。これは昨今のお墓の問題に通じるもので、例えばこの事象を憂慮して他人が作った団体がどんなに活動しても、血縁の感情に敵わないんだと思うんです。
これのもっと深刻なのが「山の手空襲」でして、こちらは詳細自体を例えば千代田区で知るには蓄積が足りません。当時の住民は超高齢化だし、当時は小学生くらいだし(小学生なら疎開してるパターンが多いし)、そもそもその後にこの地に残った住民がいない。
誰も彼も消えてしまう。生きていた事がなかったかのように。
無論、現代の日本はそうすることを「望んでいる」ような世相な気もします。
しかし、なんだろうか。この切なさは。
街の様子は確かに変わった。しかし、高層ビルもマンションも竹のように立っているけど、街の持つ性格は変わっていない。関東大震災の災害の様子や山の手空襲での災害の様子はきっといつかの私たちの「行動」であると思うのです。
常々、現役世代が歴史を学ぶとは何だろうと私は国会図書館でじーさんたちに囲まれながら考えたものです。
やはりそれは「教訓」を活かすことに他ならないと思う。
歴史に中で消えていった人たちの声を「聞こえる」ようにする事。
……そんなことを意識して、今回の展示はすぐそこを舞台につくってみました。
展示の内容はpixivでも公開しようと思ってます。文字が多いですけどね。
そうよ……絵を描かなくちゃなのよ!
描きます!展示会場はよかったら来てください。閑静な閑静な場所にございますので笑
展示詳細

以上、終わり!
まーたねノ