こんばんは、やすかわばいべいです。
えらい久しぶりになってます。色々。
こういう創作活動は気をかけてはいるものの、マイペース気味になってしまい反省です。
実際、そこら辺の熱が低いような状態がここ最近、いや、半年くらい続いてまして、このようか有様になっているわけです。
でも、いい加減に(これは良い加減と言いたいが)動き出したいので、記事を書いています。
今年も滑り込みのような感じで神田の古本まつりに行ってきました。今年はなかなか天気が不安定でしたね。雨が降ると寒いし、でも、あの雨の後の古本のにおいは私は好きです。
今年これは買ってよかったなぁと思う本は『私の中の朝鮮人』(本田靖春/文藝春秋/1974)という本。
言うまでもありませんが、在日朝鮮人について扱った本です。……と、いっても、郷愁のルポルタージュというような内容。
著者の本田氏は昭和8(1933)年、京城生まれの日本人。両親は九州出身で父親の仕事の関係で植民地下の朝鮮で生まれて、戦後引き揚げてきた方だそうで。そんな彼の在日朝鮮人……特に、彼とは逆で日本で生まれ育った祖国を知らない子たちの葛藤に触れた内容です。
私ね、実を言うと『在日朝鮮人』とか『韓国』って聞くと、あまりいい印象はなかったんです。よく、中年以降のおじさまたちが毛嫌いするような感覚をどこか持っていましたし、持っています。それは、私のよくメディアにふれていた時期に反日活動をする彼らや実際に知り合った在日の方が、その印象を裏切らない行為をしていたからかもしれません。
もちろん、それは「彼ら」という大きなグループの一部でしかないわけですが、どうにもこの手の話題は苦手でした。
この本も、時には日本人社会の耳の痛い話をしてきます。同じ枠組みの中にいなければ、弾く対象になる、とかね。
でも、そこを超えてく内容でもある。
例えば、在日朝鮮人でも資産家になるほどに帰化をして、一生懸命『日本人になろう』としているとか。それは、資産家として大成するために必要なことなんだけど、民族としては矛盾している。移民1代目の必死さが(生活していく、生きていく必死さを)移民2代目を苦しめている(自分のアイデンティティを求めて)。
これは『心を傷を癒すということ』という本を書いた安克昌(あん・かつまさ)氏のエピソードを思い出す。彼は「安田」という苗字を家族がずっと名乗っていて自分が在日朝鮮人とは知らない在日3世であった。ひょんなことからそれを知った時の彼の衝撃のシーン。そんな事を思い出す。
果たして逃げかもしれないと思うけど、日本社会だけじゃなく、どこにでも抱えるような、人類が抱えるのような問題……課題。つまり、異物があったとき、それをどう処理するかという事だけど、冒頭の本田氏の本はそこにまで到達するような内容だった。
アイデンティティか……姜尚中氏もそんな事を言っていることもあったなぁ。
在日朝鮮人のトピックはまぁでも、触れるのはちょっと怖いなと相変わらず思うんだけどね……
以上、弱音でおわり!
またねノ